←タエコが走る:行き先リスト
万華鏡工房
タエコが走る 
キャンピングカー キャラバン紀行

その71 残雪の南アルプス クモマツマキに会いに 11日間
(令和01年05月08日〜05月18日)

北岳(3,193m)の麓 北沢峠・夜叉神峠・奈良田・釜無川の4ルート探索

←前回 その70へ
(webより)
次回 その72へ→


その71 ドライブ行程

日程 月日 行き先 宿泊 走行距離
01日目 05月08日(水) ・道の駅「甲斐大和」 道の駅「甲斐大和」 満タン出発

発90,000q

169.5q
02日目 05月09日(木) ・道の駅「はくしゅう」
・道の駅「南アルプスむら長谷
道の駅「南アルプスむら長谷」 給油満タン JA梨北
27.0L
4,077円
151円



114.8q
03日目 05月10日(金) ・南アルプス林道
「南アルプス林道駐車場」 7.2q
04日目 05月11日(土) ・南アルプス林道
「南アルプス林道駐車場」 0q
05日目 05月12日(日) ・高遠城
・杖突峠
・道の駅「はくしゅう」
道の駅「はくしゅう」 給油満タン JA梨北
17.77L
2,683円
151円



82.1q
06日目 05月13日(月) ・夜叉神峠
・道の駅「しらね」
道の駅「しらね」 42.7q
07日目 05月14日(火) ・道の駅「みのぶ藤川観光センター」 道の駅「みのぶ富士川観光センター」 35.0q
08日目 05月15日(水) ・奈良田の里温泉駐車場
・県道37号線散策
奈良田の里温泉駐車場 36.2q
09日目 05月16日(木) ・入浴
・道の駅「しもべ」
道の駅「しもべ」 46.6q
10日目 05月17日(金) ・高尾御陵 道の駅「八王子滝山」 121.8q
11日目 05月18日(土) ・八千代 自宅
給油満タン 八王子
33.98L
4,689円
138円


給油満タン 八千代
8.65L
1,194円
138円


89.8q
走行計 727q
 発 90,000q
 着 90,727q
G計 87.4L
金計 12,643円
燃費 8.32q/L
平均G価 144.6円/L


 ・南アルプスはクモマツマキチョウの生息地。

    クモマツマキチョウは、氷河期の生き残りだとされています。
    クモマツマキチョウに会いに行きたいと思います。
 
クモマツマキチョウ((webより)) ツマキチョウ


令和01年05月08日(水)
起床時室温度。。

自宅→道の駅「甲斐大和」

◇自宅

   9:30発




 ・「勝鬨橋」

    リベットで組まれています。
    真っ赤に焼けたリベットを差し込んで、ハンマーで打ち潰し、赤みが冷めないうちに、頭を丸く整えていきます。
    飫肥の今町橋のリベット打ち、飽かずに眺めました。




 ・歌舞伎座




 ・銀座








 ・医療センター入口

 




 ・浅川トンネル







 


◇道の駅「甲斐大和」

   18::00到着
   169.5q 約8時間半のドライブでした。

 


 ・車中泊


令和01年05月09日(木)
起床時室温17度。晴。

道の駅「甲斐大和」→道の駅「はくしゅう」→道の駅「南アルプスむら長谷」

◇道の駅「甲斐大和」


◇国道20号線




 ・甲斐一宮浅間(あさま)神社

    御祭神:木花開耶姫命

    後日、参拝したいと思います。




 ・「せんげん」ではなく「あさま」と称します。

 


 ・白く輝くアルプスの嶺が見えてきました。




 ・パーキングで休憩しました。

    栄T−1−62あたりです。

  

 

 


 ・釜無川です。下流で富士川となり、太平洋に注ぎます

 

 


 ・山崎の市街に入ります。




 ・無銘の巨塔

    日蓮上人の六百遠忌に向けて切り出されたものの、資金難によって明治四年に頓挫し、この地に放置されたもの。
    運搬に使われた綱も展示してあります

 

 



 



 

 

 

 


◇道の駅「はくしゅう」




 ・句碑(田中角栄書 世話人金丸信)

    山口素堂の句「目には青葉山ほととぎす初かつお」




 ・以前は別の処(教来石)にあったようです。

(webより)


 ・八ヶ岳遠望

    雪が残っています。




 ・「杖突峠」は、「navi」は、この道を上れと指示しています。

 




 ・金鶏金山

    その昔、甲斐の武田信玄が金を掘らせた金山の一つだとされています。
    金山跡では、今でもたくさんの水晶が拾えるとのこと。

 

 




 ・1キロ程登って、無理と判断し、Uターンしました。




 ・「新井交差点」を左折


 ・安国寺トンネル(国道152号線)




 ・杖突峠(国道152号線)




 ・峠の茶屋(国道152号線)

 

 




 ・展望台

 

 


 ・諏訪湖が遠望できます。

 



 


 ・クモマツマキチョウの食草「ミヤマハタザオ」に遭遇

    幸先がいいです。
    庭先に植えようと思います。

 

 




◇物部守屋神社参拝(国道152号線)

     長野県伊那市高遠町藤澤87

    御祭神:物部守屋大連大神


 ・ここは里宮のようです。



 

 


 ・始祖

   

 ・島根県の物部神社参拝 (その57 平成29年11月06日)

    





 ・燈籠。「三つ柏」の神紋です。

 




 


 ・拝殿





 

 


 ・本殿

    手摺の無い急な石段です。
    フラツキそうで、両手を突いて昇りました。




 ・覆殿外観

    厚い茅葺です。
    石段を登り詰めた本殿の前は、立って参拝する場所も無い狭さでした。

 

 


 ・建屋は、覆殿のようです。

    内部に、本殿らしき小振りな建物が見えました。




 ・石祠

    本殿の背後、急斜面の上です。

    webより(http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/moriya.htm

 (webより)




 ・奥宮 webより

    「守屋山」の東峰に、守屋神社の石祠が鎮座しているそうです。
    その脇にある石柱には「守屋神社奥宮」とあるそうです。

(webより)

 (webより)


 ・空き地に駐車している車があります。

    持ち主にお話しを伺うことができました。
    山の上にお住まいとのこと。




◇道の駅「南アルプスむら長谷」(国道152号線)

 


 ・美和湖畔散策

 




 ・美和ダム






 ・諏訪神社

 



 


 ・拝殿




 ・本殿(覆い殿)

  


 ・一村一社令により、村内の神社を集めて合祀しているのでしょうか。




 ・オダマキ

    路傍に咲いていました。

 

  




 ・車中泊


令和01年05月10日(金)
起床時室温13度。晴。

道の駅「南アルプスむら長谷→南アルプス林道駐車場→歌宿→南アルプス林道駐車場

◇道の駅「南アルプスむら長谷

   晴れました。




 ・南アルプス林道駐車場

 




 ・バス発着場



 


 ・4/25〜6/14は、歌宿までしか行けません。
  北沢峠まで行くのは、6/15以降です。

  歌宿までは片道1,030でした。

 




 ・08:05のバスに乗車

 

 


 ・新しい駐車場を造成中。




 ・戸台大橋

 

 




 ・遥かに雪の残る仙丈ケ岳(3,033m)が見えてきました。



 ・中央アルプスは、冠雪状態です。

 


 ・熊が齧った跡だそうです。




 

 

 

 

 

 

 


 ・歌宿に着きました。

    40分ほどで、終点「歌宿」に着きました。
    回りには、小さなバスの休憩室だけで、荒涼とした広場が広がっています。

 


 ・歌宿

    標高1,680mです。
    鋸岳(2,685m)や甲斐駒ヶ岳(2,967m)が手の届くような位置にあります。
    雪が残っています。







 


 ・「赤石山脈」は、通称「南アルプス」と呼ばれています。
    長野県、山梨県、静岡県に跨って連なる山脈です。

 (webより)


 ・北沢峠は、この林道を登ります。
  まだ雪が残っているようです。




 ・バス時刻表

    気温は、13℃です。快晴。無風。




 ・休憩室




 ・林道を下山開始(10:00)


 ・スジボソヤマキチョウ 越冬型に遭遇

   枯れた落ち葉に止まると、横倒しになります。
   見失ってしまいます。
   風に飛ばされないように伏せているのでしょうか。

 


(webより)


 ・苔蒸した原生林が広がっています。

 


 ・山道を下ります。

 



 

 


 ・残雪です。




 ・イワツバメ

 


 ・多恵子は、歌宿発10:15下りのバスで先に下山。




 ・洞門

    イワツバメが盛んに舞っています。




 ・イワツバメの巣です。

 


 ・イワツバメの大群がワッと入ってきました。
   洞内が騒がしくなりました。

 

 

 (webより)

 

 




 ・仏像構造線唐沢露頭

 

 

 

 


 ・小百合沢 延命水




 ・シナノコザクラ

    山地の石灰岩の岩場に生えるサクラソウ科の多年草。

    運転手さんが咲いているのを教えてくれました。

(webより)





 ・幕岩 白岩

    石灰岩で構成されています。

 




 ・ミヤマセセリに遭遇

    福島で見かけて以来です(その37 平成28年04月06日)。早春の蝶です。




 


 ・鹿による食害でしょうか。




 ・「コガシ平」のバス転回場まで下ってきました。15:00。

    歌宿を9:00に下山し、約6時間歩きました。
    昼飯も忘れて歩いてしまいました。


 ・歌宿発15:15のバスに拾ってもらいました。1,680円。

 


 ・ツキノワグマ

    運転手さんの話では、先程、ツキノワグマが歩いていたとのことです。
    自分が歩いていた道です。
    このツキノワグマは、自分が歩いているのを見ていたかも知れません。

(webより)


 ・急カーブを物凄いスピードで駆け抜けていきます。
  このまま谷底へ突っ込むのではないかと、思わず固くなりました。

 

 


 ・無事「戸台大橋」まで下りてきました。

 

 


 ・入浴(仙流荘)

    ぬるい湯は37.5℃でした。
    気持ちいいでした。

 


 ・今は鉱泉ではなく 孔雀明王水 なる地下水を利用しています。
  天然温泉ではないようです 




 ・孔雀明王温泉

    ぬるいお湯にゆったりと浸かりました。




 ・星空




 ・車中泊


令和01年05月11日(土)
起床時室温15度。晴。

南アルプス林道駐車場→「コガシ平」→南アルプス林道駐車場

◇今日、再び南アルプス林道を歩いてみたいと思います。


◇南アルプス林道駐車場

 ・08:05発 1,680円。


 ・ 「コガシ平」で下車。8:30頃。

    ここから歩いて下山。

    山腹の構造物は、地滑り対策のアンカー。

 


 ・中央アルプス遠望

 




 ・中央アルプス(木曽山地)

 


 ・桃の花でしょうか。

 


 ・カエデの花

    カミキリを捜しましたが、遭遇できませんでした。



 


 ・仙丈ケ岳

    南側を振り返ると、遥かに雪の残る仙丈ケ岳(3,033m)が見えました。



 




 ・カエデの若葉が続きます。

    カミキリを捜しましたが、蟻さんばかりでした。

 


 ・クモマツマキチョウの食草、「ミヤマハタザオ」が群棲しています。

    遭遇できるのではないかという期待が高まります。

 




 ・ムラサキケマン




 ・戸台大橋が見えてきました。




 ・戸台大橋

 

 


 ・登山道にはゲートがあり、ミニバスが通るとき開きます。

 


 ・戸台大橋の近くの駐車場

    右手に降りて行きます。
    左手は、入笠山に続く林道です。




 ・和泉原井筋水取り入れ口跡






 ・駐車場でお弁当をいただきました。




 ・林道はここまでです。
   ここから先、北岳などへの登山道のようです。




 ・帰途へ

 

 

 




 ・鷹岩砂防ダム

    風が水飛沫を吹き上げていました。

 

 

 




 ・和泉原井筋跡

    かつて水田に水を引くために使われていた水路。長谷黒河内




 ・鷹岩トンネル

 


 ・昨年開通したばかりの新しいトンネルです。
  452m歩きました。

  右側には、旧道が延びています。



 


 ・慰霊の碑

    水路工事での事故のようです。
    宮崎県の方もいます。

 



 


 


 ・バス営業所の見える高台まで辿り着きました。



 


 ・残したお弁当をいただきました。

 




 ・16:30頃 帰着しました。約8時間の山歩きでした。

 


 ・星空




 ・車中泊


令和01年05月12日(日)
起床時室温度。晴。

南アルプス林道駐車場→高遠城→守屋神社→杖突峠→釜無川→道の駅「はくしゅう」

◇南アルプス林道駐車場

    06:55発


◇国道152号線

 ・美和ダム遠望

 


◇高遠城(国道152号線)

 

 




 ・進徳館

 

 

 




 ・桜雲橋




 ・ニホンタンポポが見付かりました。



 


  ・南アルプスの雪

 


 ・藤原神社

 


 ・太鼓楼




 ・靖国招魂碑




 ・忠骨蔵

 


 ・レンゲ

 

 






 ・江島囲み屋敷

 


 ・高遠ダム




 ・白山橋

    高遠ダム下流の三つ峰川に架かります。

 

 


 ・信州高遠美術館




 ・高遠城を降りてきました。




 ・高遠石工(たかとおいしく)

wikiより

高遠石工は、1187年(文治3年)に源頼朝から代々石細工職人として日本国内で仕事が出来るとの許可をもらったものとの由緒書が伝わっているが、発祥は中世頃と推定されている。
由緒に基づき、全国を行脚しており、現在の青森県から山口県まで旅稼ぎをしていた。

天正末期、徳川家康の命で江戸城工事に従事し、八王子付近に定住していたことが「新編武蔵風土記稿」に記載されている。
鳥居氏の所領だった(1636年?1689年)の間の高遠地方旧記の引き継ぎ目録に記録が残っている。
元禄4年(1691年)内藤清枚が藩主となると、藩の財政難解消策の一環として出稼ぎが奨励されるようになった。
明和4年(1767年)には「他国稼ぎ御改め帳」が発行されるなど、石工が全国を回っていたが、それは「旅稼ぎ」といわれ、藩には運上金を1人年1貫文(千文)を収め決まりとなっておりお高遠藩にとっては重要な収入源だった。

文化8年(1811年)の記録では領内の主要な産業として保護、統制を受けており、職人団体の中で運上金上納額最高が石切職人だった。

その存在が日本全国に知られるようになったのは江戸時代、17世紀半ば頃のことであったとされる。彼らは日本の各地に散らばり、石仏を始めとする彫刻作品を残した。
活動に取り組む姿勢は芸術家さながらであったとも、あくまでも職人であったとも言われる。
高遠石工は、18世紀が最盛期だったが、明治になり廃れた。

現在、高遠石工による作品は地元の伊那谷周辺に多く残され、殊に安曇野に多い石像道祖神も、その多くは高遠石工の手によるものである。
その他にも首都圏や東海・近畿、山口にまで散見されている。

伊那市高遠町の建福寺には西国三十三所観世音をはじめとして多くの作品を見ることができる。


・妙義神社




・穴太衆(あのうしゅう)

近江の比叡山山麓にある穴太(穴太ノ里[あのうのさと]などとも俗称。
現在の滋賀県大津市坂本穴太。延暦寺と日吉大社の門前町・坂本の近郊)の出身で、古墳築造などを行っていた石工の末裔であるという。


 ・杖突峠で休憩


 ・杖突峠への旧道?を再調査




 ・この道は、釜無川上流への入口では無さそうです。

 


 ・新立場川橋

   釜無川上流への入口です。

 

 


 ・釜無川上流は、この奥です。

 


 ・道が狭くなり、遡上は断念しました。


◇道の駅「はくしゅう」




 ・トレーラー

    道の駅「みまき」で出会った方のようです。(その25 平成27年10月30日)




 ・中央アルプス

 

 


 ・甲斐駒ケ岳

 

 


 ・八ヶ岳




 ・車中泊


令和01年05月13日(月)
起床時室温度。。

道の駅「はくしゅう」→夜叉神峠→道の駅「しらね」

◇道の駅「はくしゅう」


◇夜叉神峠


 ・交通安全協会のキャンペーン

    ワッペンを貰いました。




 ・左折の看板を見落とし、直進してしまいました。

   沓沢・大曽利地区への道です。

   一連の写真は、坂を登り切ってから、後でルートを辿り、撮影したものです。



 

 





 ・南アルプスへの登山口

 

 ・スノーシェードが見えてきました。
  狭くて凄い急坂です。
  高さも3.7mでギリギリです。
  これがかの有名な「夜叉神峠」へのルートかと思い、対向車が無いことを念じつつ、突っ込みました。

 


 ・2速でゆっくりと登りました。

 

 


 ・2手に分かれています。
  右手の方が広く、メインのように見えます。

  左手は狭く、急斜面です。
  迷いましたが、狭い左手に突入しました。
  正解でした。



 


 ・車1台が辛うじてとれるような、狭くて急な坂です。ギアをローに入れて、対向車が無いことを念じつつ、慎重に登りました。

 




 ・坂の上から振り返ります。




 ・少し、開けてきました。




 ・「玉龍」は、狭い急坂をまるで吸い上げられるように駈け上がっていきました。

 

 




 ・大寶寺

    大寶寺は、孝謙天皇に所縁のある寺でした。

    「大寶」と言えば「大宝律令」。その701年の約50年後、ここ大寶寺を通られたものと想像します。
webより

天平宝宇2年(758年)、時の帝であった考謙女帝が芳野清遊中に病にかかってしまい、夢の中で「甲斐国湯島郷の温泉(現奈良田温泉)に入れば病気は治る」との神託を受けたことから、主従を引き連れ都を出立。
その道中、当地において白鳳凰(如山居士)という隠者の庵に一泊し、それがきっかけとなって白鳳凰は宗見和尚という僧と共に当地に寺を建立した。

寺記によれば、奈良時代に華厳宗の寺院として開山されましたがその後荒廃し、16世紀の初めに悦堂和尚が曹洞宗寺院として再興しました。
境内には武田信虎に仕えたと伝えられる武将、名取将監の墓があります。

 


 ・孝謙天皇

(webより)


 ・奇しくも、後日行くことになった「奈良田」も孝謙天皇に所縁のある土地です。(平成31年05月15日)
    孝謙天皇に引き寄せられた旅となりました。

(webより)


 ・名取将監長信

    武田の武将です。ここ大寶寺にお墓があります。

webより

将監。戦国時代に武田信虎の家臣として戦場で何度となく戦功をたて、信虎に直接進言できる地位にまで上がったが、信虎の慢心したごう慢な振る舞いに対して忠言したことが信虎の機嫌を損ね武田家を去り、血のつながりがあった山梨県南アルプス市芦安(旧芦安村)の郷士、名取弾正左衛門を頼って大曽利地区に定住する。
長信は山仕事や農業になじめず、狩猟をして生計を立てた。ある日、狩猟で一夜を山で明かした時、信仰していた観音経を唱えていたことから、野呂川林道、お野立所の渓谷を「観音経渓谷」と呼ぶようになったという。
また長信は子供たちに学問を教えたり、地区の神社で祭りを行うなど地区へ貢献した。
今も住居跡が「殿屋敷」の名前で残っている。墓は大宝寺にある。

 




 ・この上には、曽我兄弟の像が伝わる「諏訪神社」があるようです。

 (webより)


 ・瀬戸大橋に出てきました。

 

 






 ・御勅使(みだい)川

 

 (webより)

 

 


 ・蘆安堰堤

日本で初めて堰堤本体にコンクリートを使用して築造された砂防堰堤です。
大正7年に竣工した重力式堰堤の上に、嵩上げのためにアーチ式堰堤を設置した構造となっており、高さが22.6mと当時では最も高い砂防堰堤の一つでした。
御勅使川流域では、それまで空石積の砂防施設が多く設置されていましたが、施設の破損や流出が問題となったことから、より強固な砂防施設が必要とされ、日本初のコンクリートを用いた砂防堰堤が計画されたと考えられます。

平成9年には、国の”登録有形文化財”に登録され、土木学会より”推奨土木遺産”に認定されています。

 

 

 




 ・蘆安堰堤展望台

 


 


 ・林道バス(甲府駅〜広河原)

    6/22からのようです。




 ・キケマン

 


 ・ミヤマハタザオ




 ・夜叉神峠へ

    9:00出発


 ・岩園(いわぞの)館

 


 ・甲斐犬

    勇敢な猟犬ということです。
    ここ芦安が発祥とされています。


    写真を撮ろうと近付くと、恥ずかしがって後ろの小屋に隠れてしまいます。
    webから借用させてもらいました。

(webより)


 ・物凄い急坂ヘアピン

 

 

 



 

 


 ・沓沢橋

 


 ・沓沢橋の案内板

 




 ・桃乃木橋

 

 

 




 ・道路工事

 


 ・山の神橋



 

 

 

 


 ・山の神ゲート




 ・白根三山(毛無山より) 農鳥岳(のうとりだけ3,026m)―間ノ岳(かんのだけ3,189m日本第3位)―北岳(きただけ3,193m日本第2位)  



 

 

 

 

 




 ・ここまでで引き返しました。11:30




 ・帰還

    12:30着




 ・甲府方面本道






 ・登った急傾斜のスノーシェードが遠望できます。



 


 ・降りてきました。




◇道の駅「しらね」

    雨が強くなり、今日はここで泊ろうと思います。




 ・車中泊


令和01年05月14日(火)
起床時室温21度。雨。

道の駅「しらね」→道の駅「みのぶ富士観光センター

◇道の駅「しらね」

 



◇県道37号線調査


◇道の駅「みのぶ富士観光センター



 






 ・午後、雨になりました。
  休養を兼ねて、じっとしていました。


 ・車中泊


令和01年05月15日(水)
起床時室温度。。

道の駅「みのぶ富士観光センター]→奈良田の里温泉駐車場

◇道の駅「みのぶ富士観光センター」




 ・朝の園内を散策しました。

 

 




 ・新緑にセンダンの花が咲いていました。




 ・切り絵の森美術館

    時計台ギャラリーの建物です。藤村式建築のようです。

藤村式建築

明治時代初期に日本の職人が西洋の建物を見よう見まねで作った建物。
山梨県では当時推奨した県令の名をとって「藤村式建築」と呼ばれています。
富士川町には現在は民俗資料館として使われている藤村式建築の「太鼓堂」があります。
因みに似たような建物が甲府駅北口にもあります。
道の駅「富士川」のデザインにも採用されています。





◇県道37号線を奈良田へ

    県道37号線沿いには、クモマツマキチョウが見られるという情報がありました。


 ・小原島の貝化石

 

 


 ・2027年開業リニア中央新幹線工事の残土輸送のダンプ

 

 




 ・保洞門

    このあたり、交通の難所のようです。
    落石に備えて、ガードや擁壁が物々しいです。






 ・道祖神?

    いらっしゃるのは、「カラス天狗」のようです。



 




 

 


 ・糸魚川-静岡構造線(フォッサマグナ)

    新倉(あらくら)断層 糸魚川-静岡構造線の露頭。国指定天然記念物。東西日本の裂け目が見られます。

 





 ・新栃ノ木橋―青崖(あおがれ)トンネル

 

 


 ・新倉(あらくら)の工区(webより)

    第4南巨摩トンネル



 


 

  (webより)


 ・スノーシェード




 



 


 ・奈良田ダム

 

 


◇奈良田の里温泉駐車場

    標高約820m。

 

 


 ・日蓮宗身栄山外良(ういろう)寺

外良寺。ういろうじと読みます。
あの「ういろう」です。

現在は日蓮宗ですが、かつては奈良王山外郎寺という真言宗のお寺でした。
奈良王というのは、病気平癒の為、奈良田に遷居したと伝えられてる孝謙天皇のことです。
奈良王様の夢によって授かった外郎という薬の製法を伝えたので、奈良王様の 祈願所として建立されたこの寺を、奈良王山外良寺と呼ぶようになったのだそうです。
かつては、ここで孝謙天皇が伝えた「外郎(ういろう)」という薬を作っていたそうです。
この薬「ういろう」は、今でも小田原の薬屋で「ういろう」として売られているそうです。

なぜ小田原なのか。
ここ奈良田の権利者が、小田原の薬屋に売ったからだそうです。

ところで「ういろう」。
中国の元から伝わったというのが定説のようです。
しかし、孝謙天皇まで遡るとは・・・。びっくりです。
web(http://blog.livedoor.jp/ayako0215/archives/50891653.html)に詳しく記載されています。

 






 ・経の巻は、ブリキ製でした。

    「井桁に橘」は、日蓮宗の寺紋です。

    この家紋は「井伊家」のもので、日蓮は井伊家を祖とするようです。




◇奈良田集落散策


 ・白鳳観音

    奈良田集落の入口右側におられます。
    背景は、奈良田公民館です。

    南アルプスへの登山安全を祈願して建立されました。
    昭和59年7月の建立と、奈良田公民館の案内に記されています。



 


 ・田中冬二 『山郷』 詩碑

    奈良田集落の入口右側の土手の上に、ひっそりと佇んでいました。
    背景は、奈良田公民館です。

    田中冬二は、福岡県生。本名は吉之助。
    ここ奈良田を愛しました。

冬二は昭和11年、奈良田を訪れて「山郷」という作品を残しました。
「夕暮れは雨となり 雨にまじり山焼の灰が降ってきた 父も母も兄も嫂も皆山仕事に出かけてもう七日・・・」
と、厳しかった当時の山村の暮らしを写しています。

その34年後の昭和45年、冬二はこの地を再訪し、その印象を「奈良田のほととぎす」という文章に残しました。
「奈良田の山郷らしいカラーは殆ど失われてしまった・・・板屋根に石をのせ千木をおき、上段の間のあった家は、瓦葺スレート葺となり、台所はタイル張り電気洗濯機電気冷蔵庫まで揃えた都会並みの瀟洒な住居と化してしまった。
山深く開墾小屋へ泊まりがけで開墾にゆくような人はもういなくなったらしい」




 ・奈良田公民館

 


 ・案内板

    奈良田公民館n木戸にある「白鳳観音」と「田中冬二 『山郷』 詩碑」について書かれています。






 ・白樺会(webhttp://www.joryuken.net/2000/narada/data/minoru2.html

    創始者:深沢正志さん(故人)。奈良田の地域づくりのために活動。
    奈良田の歴史や文化を残すために尽力しました。


 ・道祖神




 ・天神様

    下がっているのは、ミミンコ(サルボンギ)

webhttp://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/people/nenchugyoji.htmlより

天神祭り
 奈良田の天神さんのお祭りは、小中学生が主体になり大人や若い衆もまじって頭屋の家に集り、菓子神酒を持ち寄り御飯を炊いて食べながら歌や踊りで楽しく過ごす。
 上下湯島でも子どもの行事として行われている。
 奈良田では長い提灯を二つつけて天神様を飾る。書初めを上げると字が上手になるといい旗にして上げる。
 裁縫が上手になり、思うことが叶うようにと、女子は赤色の布で三角の蒲団形に綿を入れて縫ったミミンコ(サルボンギ)を作って上げる。
 未婚の女性が思う人の各前をミミンコに縫い込めばその人と添えるといわれ、ひそかに思いを込めて奉納したとか……。

 


 ・祠の扉を開けた写真がwebに掲載されていました。

    天神様から菅原道真を連想します。
    しかし、祠には菊の御紋章が付いているところから、「天神」は菅原道真ではなく、
    本来は「天つ神」即ち、アマテラスに連なる神であり、ここ奈良田では奈良法王神社とともに孝謙天皇を祀るものではないかと想像します。

(webhttp://satsunan226.blog.fc2.com/category8-1.htmlより)


 ・忍野八海で見た「ヒイチ」(その21 平成27年08月13日)

    似ています。




 ・奈良田集落の配置図

当地に残る孝謙天皇の伝説によると[1]この地で8年間湯治を行ったと伝えられてられています。
初めは奈良田より南にある西山温泉を訪れ、その後霊泉を求めてさらに奥へ入ると奈良田の地を見つけ、「奈良の都は七条なるが、この地は七段。ここも真に奈良である」と言い、遷居したとされています。
開湯はそれ以前との言い伝えられており、孝謙天皇の言葉によりこの地が「奈良田」と名付けられたと言われています。

    現存するのは4〜7段目まで1〜3段は昭和31年にできた奈良田ダムの湖底に沈んでしまいました。

 


 ・集落の小路には、オダマキが花盛りです。

    根が、石垣の隙間にしっかりと食い込み、抜けません。





 


 ・段と段の間を、このような細い露路が繋いでいます。

 




 ・ミツバチの巣箱




 ・「奈良田の里温泉」は、定休日でした。(水曜日)
  明日、来たいと思います。




 ・南アルプス山岳写真館白籏史朗記念館

    「奈良田の里温泉」の上にあります。

(webより)


 ・奈良法王神社

     南巨摩(みなみこま)郡 早川町奈良田479

    御祭神:孝謙天皇



 




 ・御符水

 


 ・御符水由緒
御符水
これは「御符水」と云って、奈良田の七不思議の一つで源水は山の中にあり、それを導水して「お手洗い池」用にしたものである。
第46代孝謙天皇(天平宝示2年)この地にご遷居の折「ご膳水」とし、また「硯水」として、ご使用になられた水で、どんな干天にも、水の干ることなく、またどんな降雨続きでも、濁ることなく、そしてこの水を飲むと諸病に効能があると云う。
孝謙天皇御遷居縁起鈔によると、「斯地ニ七不思議ト唱フルアリ曰ク、第一御符水ト称シテ皇居ノ脇ニ御硯井アリ所病ニ功アリ呑者ハ病即消滅スル」と云われている。
昭和62年(1987年)11月 完成 奈良田区 三社氏子


 ・拝殿

 


 ・奈良法王神社由緒

奈良法王神社 当神社のご祭神は孝謙天皇を祭る
別に奈良法王(伝不詳)なりとも言ふ。 人皇第46代孝謙天皇天平宝字2年(758年)5月より8年間この地にご遷住なされしと伝えられる奈良法王遺蹟並びに、奈良田七不思議などすべて天皇にまつわるものである延暦3年ここ宮殿の跡に神殿創立させるものなり現本殿は寛政元年再建せるものなり。
ご神木の樅もみ樹齢857年は昭和27年(1952年)の台風により折損して今はなし。

wikiより

重祚して称徳天皇。日本の第46代・第48代天皇。
即位前の名は「阿倍内親王」。

孝謙天皇としての在位期間は、749年8月19日 - 758年9月7日。
称徳天皇としての在位期間は、764年11月6日 - 770年8月28日。
父は聖武天皇、母は藤原不比等の娘で史上初めて人臣から皇后となった光明皇后。

752年東大寺大仏の開眼供養を行う。
758年淳仁天皇に譲位。
道鏡を寵愛(ちょうあい)して淳仁天皇と不和となり,太政大臣になったいとこの藤原仲麻呂が764年に兵を起こすとこれを打破(恵美押勝(えみのおしかつ)の乱)。
淳仁天皇を廃し重祚(ちょうそ)。称徳天皇(764年?770年)となる。
その治世は道鏡の全盛期で,769年彼は皇位を望んだが和気清麻呂に退けられた(宇佐八幡宮神託事件)。

孝謙天皇の陵(みささぎ)は奈良県奈良市山陵町にある前方後円墳、高野陵たかののみささぎとされています。

(webより)


 ・孝謙天皇と言えば道鏡

(webより)


720年には、九州で「隼人抗戦」。
740年には、九州で「藤原広嗣の乱」が起こっています。

この頃、世情は不安定だったのではないかと思います。
孝謙天皇は、都から地方(奈良田)に避難していたのではないでしょうか。


 ・弥五郎様 (その51 平成28年12月10日)

    飫肥の田の上八幡神社の弥五郎様
    養老4年(西暦720年)の隼人抗戦。
    朝廷軍に敗れ、宇佐八幡に曳かれて刑死。

    孝謙天皇は、その20年ほど前に起きた、この隼人抗戦のことを聞いておられたであろうと思います。

   


 ・宇佐神宮(その51 平成29年01月09日)

   


 ・和気神社(その51 平成28年12月23日)

   


 ・「菊の御紋章」と「松皮菱」




 ・「松皮菱」と孝謙天皇を結び付けるものは、神応皇后の三韓征伐の旗印に掲げられたという俗説によるものと思います。








 ・法王殿額

 


 ・ミミンコ サルボンギ

     ミミンコというお人形。安産を祈願し奉納されるものだそうです。

 


 ・今上天皇(浩宮)お成り記念

    孝謙天皇の御縁でしょうか。

 


 ・甲州西山の焼畑農耕用具




 ・早川町歴史民族資料館





 ・展示されていた民具のようです。

    ショーケースごと建物の裏に放棄されていました。朽ち果てようとしています。勿体無いことだと思います。
    館内には新しいものが展示されていて、これは古くなり廃棄されたのでしょうか。

 


 ・赤いお猿さんのような縫い包み

    飫肥では、遊ぶお人形でした。
    まさしくこの赤いお人形のような物でした。
    幼少時、背中にくくりつけられて、イヤだったことを想い出します。

    奈良田のミミンコは、()してサルボンギと記載されていますが、まさかこの赤いお猿さんのような縫い包みがサルボンギではないでしょうね。




 ・「飛騨高山獅子会館からくりミュージアム」で見た猿の縫い包み「さるぼぼ」(その57 平成29年10月07日)

   


 ・猪の罠でしょうか。




 ・山城屋(復元)



 


 ・石置板葺屋根:昔の集落の建物の様式だそうです。




 ・奈良田麦つき唄

    ・・・何ぼついても この麦やむけぬ・・これはお倉の 下積みか・・・
    webにメロディがアップされていました。
       http://www.yamanashinouta.com/music/m57.mp3

    歌詞、メロディ共に、「稗搗節」によく似ています。
     ・・・何ぼ搗いても この稗搗けぬヨーホイ どこのお蔵の 下積みかヨー・・・

    民俗学的には、奈良田の方が古いのかも知れません。
    椎葉は平家の落人。奈良田は奈良時代の孝謙天皇。
    そもそも「稗搗節」は戦後に広まったのものだということも聞いたような記憶があります。
    奈良田との関係、興味あるところです。調べてみたいと思います。




 ・椎葉村

    「焼畑」と言えば椎葉村。(その51 平成29年01月02日)

    


 ・ミツバチの巣です。

 


 ・トタン屋根を押さえる廃レール

 




 ・丸山林道へ



 




◇県道37号線散策

 ・奈良田橋

    クモマツマキチョウに遭遇できるでしょうか。

 




 ・県営奈良田第一発電所




 ・駐車場です。
  一般車は駐車禁止です。

 




 ・広河原まで、あと17kです。




 

 


 ・広河内橋

    トンネルの前に検問。
    一般車は、ここで追い返されていました。

    歩きでも通してくれませんでした。

 

 


 ・開運トンネル

    広河原方面は、歩きも通行止めです。

 




 ・奈良田発電所へと向かいました。



 



 


 ・発電所のテラスからの景色

 




 ・左手の脇道広河原林道に向かいました。

    北岳登攀ルートの大門沢(だいもんざわ)小屋への道だそうです。

 ()


 ・警備の人に、「落石が多いから、土手の下は歩かないように」、と注意されました。






 ・暫く歩くと、ここも一般車通行止めです。




 ・祠

 




 ・砂防ダム

 

 



 


 ・南アルプスの雪渓

 




 ・ここまでで、引き返しました。




 ・「奮闘努力の甲斐も無く・・・」 今日も、クモマツマキにもカミキリにも出会えませんでした。


 ・車中泊


令和01年05月16日(木)
起床時室温17度。快晴。

奈良田温泉郷→入浴→道の駅「しもべ」

◇虚空蔵神社

 ・丸山林道の入り口から見える赤いトタン屋根のお社。

    気になって、降りてみました。

 




 ・急な石段を下りて、細い路地を辿ります。




 



 

 



 




◇奈良田七不思議

病を抱えていた考謙天皇(第46代天皇 即位は西暦749年〜758年)が、夢で「東の国の山奥に諸病に効ある霊泉あり」と告げられた。
それをたよりに旅をして、御勅使川から土ノ小屋峠を越えて、奈良田にやってきた。
8年間を奈良田で暮らし、村人達は「奈良王様」と呼んで、王平に仮宮を建てて崇め奉った。

その間に数えて7つ、不思議なことが起こった。
何れもほとんどは村人にとってありがたい話で1000年にわたり語りつがれてきた伝説です。




@御符水(ごふうすい)
   奈良王様がお掘りになった用水池でどんな旱魃でも水量が減ることがなく、どんな豪雨でも水が濁ることはなく、飲むと諸病に効能があるといわれています。
   現在でも、飲料水としても、観光客や町民に愛用されています。



A塩の池
   塩を得ることに不便を感じられた奈良王様は、八幡神社に祈願されたところ、お手洗い池から塩水が湧くようになりました。
   昔はここの水から塩を得たり、調理に使ったりしました。
   現在はダムの建設により、一部が湖と繋がったか塩がなくなってしまい移転され、源泉からポンプで池まで持ってくるそうですが、水の塩気のためにすぐにポンプ   が駄目になってしまうのが悩みの種なのだそうです。

   奈良田ダムの右手の山側にも七不思議の跡があります。

 

B染池
   奈良王様がお衣をお染めになられた池です。
   村人達はタホ(藤蔓の皮をむいて細く裂き、織ったもの)を染めて着ました。
   茶色っぽい色に染まるようです。



 C二羽ガラス
    奈良王様がお住みになられた頃の奈良田には烏がたくさんいて、村人が畑に作っている作物を食い荒らし、村人は困っていました。
    情け深い奈良王様は、ある日烏を集めて、「これからは人間の作っている作物を食べてはならない」と厳重に言い、十数日して再び烏を集めて全部    の烏の腹の中を調べたところ、二羽の烏を除いたほかの烏は、相変わらず作物を食べていたので、奈良王様は大変に悲しみ、お怒りになられ「言い    つけを守った二羽だけは鎮守の森に住んでも良いが、他のものはここへ置くわけにはいかない。今すぐ他国へ出て行きなさい。この地には永久に烏    は二羽だけしか住んではならぬ」と二羽を残して、数十羽の烏を追放されました。
    それ以来奈良田には烏は二羽だけしか住まなくなったといいます。

 D洗濯池
    冬は水が凍ってしまい村人達は洗濯に苦労しました。天皇が八幡神社にお願いをしたところ、暖かい湯が湧き、里人の苦労を救われました。
    これも奈良田ダムの湖底に沈んでしまいました。

 E片葉の葦
    奈良王様が都へお帰りになられる時、お後を慕った村人と共に葦もみな一様に北のほうを向いて片葉になりました。
    現在でもこの辺りに生えている葦には、北側片方にしか葉が生えていない”片葉”の葦です。



 F七段
    奈良王様がお住いになった王平から早川河原までは自然の七段になっていますが、これは奈良の都の七条に習ったものだといわれています。
     天皇が奈良田に来られた時に「奈良田の都は七条、この地は七段、ここも奈良だ」と言われ奈良田と呼ばれるようになった。
    現存するのは4〜7段目まで1〜3段は昭和31年にできた奈良田ダムの湖底に沈んでしまった。


◇奈良田温泉郷散策



 




 ・林道バス(甲府駅〜広河原)

    6/22からのようです。

 


◇入浴

 

 



 

 


 ・総桧造りの湯船です。
  ぬる湯、とろ湯でリフレッシュ。
    pH:8.6の強アルカリ性です。

 

 


 ・僅かに塩味がしました。

    薄い塩味のあるまろみのある湯は、温泉としては大変飲みやすいです。
    ナトリウム‐塩化物-炭酸水素塩泉

 




 ・1時間半も浸かりました。




 ・泉質

    ナトリウム‐塩化物-炭酸水素塩泉(低張性アルカリ高温泉)
    泉温:42.2度
    pH:8.6


 


 ・昼食に、イワナとヤマメの定食を二人でいただきました。

    「こんぼうず」とは、この地方で「くいしんぼう」といった意味のようです。

 


 ・上がヤマメ(大きな黒斑がある)、下がイワナのようです。

 (webより)

 


 ・山を下ります。クモマツマキチョウには遭遇できませんでした。




◇道の駅「しもべ」

 

 


 ・木喰上人

    「みな人の 心をまるく まん丸に どこもかしこも まるくまん丸」




 ・西都市の「五智如来坐像」

 
(webhttp://log03.gozaru.jp/h_kokubunji/より)


 ・車中泊


令和01年05月17日(金)
起床時室温度。快晴。

道の駅「しもべ」→道の駅「八王子滝山」


◇道の駅「しもべ」

 ・今回も、富士五湖を回って帰りたいと思います。




◇本栖みち(国道300号線)




 ・中之倉峠(甲州いろは坂)

 


 ・中之倉トンネル




 ・本栖湖

    本栖湖の富士は、今回も雲の中でした。
    先回は、その25 平成27年11月07日。

 


◇青木ヶ原(県道710号線)

    ナビに「青木ヶ原」と入力したら、ここに連れてこられました。

    西湖の南岸を走る県道710号線沿いです。


 




 ・樹海の入口

 




 ・西湖

 


 ・西湖いやしの里根場

     山梨県南都留郡富士河口湖町西湖 根場 2710

    かつて当地にあり、台風災害で移転した集落の跡地に茅葺民家を復元したもので、2006年に開園した。

    近くにあるようです。
    改めて、行ってみたいと思います。

(webより)


 ・富士山は雲に隠れて見えません。

 

 


 ・富士道(国道139号線)を北上

    富士急行線 大月線の沿線を走ります。 




◇道の駅「つる」(国道139号線)

    山梨県都留市大原88

 


 ・山梨リニア実験線

    磁気浮上式鉄道(超電導リニア)の実験用線路です

 

 






 ・リニアの現在位置を示すモニター

    リニア見学センター館内にあるようなリニアの現在位置やスピードを示すモニターが設置されており、目の前を通過するリニアを確認できます。

    予告も無く、あっという間に通り過ぎて行きました。
    通過予告の表示も欲しいところです。

 


◇国道20号線沿いの祠

    通る度に気になっていました。
    思い切って、降りて調べてみました。

    「ふじ道」(国道139号線)の起点のようです。



 


 ・「南無阿弥陀仏」と読めます。

 



 



 


 ・「ラーセン餃子」前

 




◇多摩御陵

    多摩御陵は通称で正式名は武蔵陵墓地です。
    大正天皇、貞明皇后、昭和天皇、香淳皇后の御陵があります。

    公開は9:00から16:00。
    時間を過ぎており、入れませんでした。

    この次、来ましょう。






◇道の駅「八王子滝山」




 ・面白いキャンカーがいました。

 




 ・車中泊


令和01年05月18日(土)
起床時室温度。。

道の駅「八王子滝山」→自宅

◇道の駅「八王子滝山」






◇谷津干潟で休憩しました。自宅はもうすぐです。




◇自宅着


◇総括

    結局、目的にしていた「クモマツマキ」には会ませんでした。

    この次は、林道バスで野呂川に行き、卵を見つけて孵化を試みてみようと思います。

(webより)



          ←前回 その70へ  ↑先頭 その71へ  次回 その72へ→
inserted by FC2 system